2019年7月26日 東京、最高裁判所前で諫早水門判決への異議で上京された11人の九州の漁師さんたち。中で傍聴もできませんでしたが、その後に心配して集まった多くの個人・団体の方たちとの

報告会と情報交換の場が設けられました。22年に及ぶ長い闘い。継続されているからこそこれだけの多くの支持も集結されているのがわかりました。

それにしても、全国に裁判を抱えて戦っておられる方たちが多いことに改めて気づかされました。

        

2018年4月、元鎌ケ谷市議の岩波はつえさんとお会いしました。

     7月の鎌ケ谷市長選に三度目の挑戦とか

     鎌ヶ谷の道路のこと、市財政の事、、、、、

      地元の市議の方のお話を聞くのは初めて、さすがに色々ご存知です。

     

2018年3月  千葉県鎌ケ谷市に事務局開設しました。

       築43年の1件屋。133坪あり、庭が雑木林状態、夏草が茂るまでにと整備中。

       県道に面しており、交通量の多さに比べ、歩道は狭い!

       庭の作業をしながら、ご近所と自然に井戸端会議。

       以前から言われている「鎌ヶ谷は道が悪い」という言葉を実感しました

 

     

2018年2月九州北部豪雨の被災地 福岡県朝倉市の女性4人が東北へきてくださいました。

市議の大庭さんと佐々木さん。男女共同参画社会の星野さん、九州初の女性町長になった中嶋さん。 以前に東北へは来られましたが、今度は自分たちも被災したので、その目で、もう一度東北を見たいと。  岩泉の町議、副町長さんたちとお会いできました。

さすが、女性同士で話がはずみ、引き合わせた私がしゃべる必要はなし、、、、、

東松島市の阿部前市長、仙台市の女性参画の代表、陸前高田市長洞町の村上さん、普代村の旅館の女将さんたちも、九州の女性からの熱で温まったようです

2017年8月 熊本 九州ラーメン党の濱田さん

    日本財団の支援を受けて、障碍者の作業所を1年で再建。さすが有言実行

   「仮設にいる人が多いですよ、年取ってから家を作れって無理ですよ」 同感。

2018年8月、先月の九州北部豪雨の被災地ボランティア参加のため朝倉市へ

 到着は夜になったので、女性ボランティア専用の宿泊施設「つどい」へ。車中泊覚悟だったので、正直、ひじょう~に助かりました

到着したのは21:00でしたが、Tシャツ、ジャージといういでたちの明るい女性が迎えてくださいました。朝倉市議でここを管理当直されて居る大庭きみこ氏ときき びっくり。市議になる前は民生委員をされていたとのこと。「うちの党にぜひ!」と勧誘してしまいました

 2017年2月23日 千葉県松戸市で東日本大震災松戸東北・東北交流プロジェクトの皆さんと

 

       20122017年の東北被災地の写真を示し、現状のご報告

 

 

2017年1月12日~13日 岩手県岩泉の中洞牧場さんを訪ねて

 

 生活道路はまだ寸断された所もありますが、降り積もった雪で傷跡が

おおわれていました。

   

  小本支所を訪ねて、9月の台風被害からの経過をお聞きしました。全国一広いと言われる岩泉町。その中でも小本支所は2011年の大震災を経験されており、その時のノウハウがしっかり生かされているようです。

 

 

201712月8~12日 岩手県岩泉町

安家支所と小本支所に みかんと電気氏毛布をお届け。

安家地区はまだ手つかずといっていい状態。 9月からの違いといえば削られた道路に盛られた土が固くなってきたぐらい。

 

作業員の人たちの数は相変わらず少ないです。

 

   朝夕はすでの氷点下5~10℃。今年の冬は寒さも手加減してほしい

 

 

2017年10月6日 

岩手県岩泉町

 

泥だしの後にまく消石灰をお届けに。

 

TVでは老人ホームしか放送されないので、知り合いの牧場を訪ねて。

 

鬼怒川決壊よりひどい。

自衛隊にはアフリカの道路より、こちらの道路を直していただきたい、、、、

 

 

 

 

2022年1月 北海道寿都町へ

   昨年、核のゴミ受け入れ調査検討の表明されました。

これに懸念を示した,前議員の越前谷さんが町長選で現職に挑まれて敗れました。TVで小さなドキュメントがあり、お会いしに行ってしまいました。記者でも議員でもない私を暖かく迎えてくださいました。

人口が減り、寂しくなる故郷の自然を守りたい、という人たちに出会えました。

海が魅力の寿都町。核のゴミの街という負のイメージを持たれたくないと改めて思いました。

私の地元九州にも原発はありますが、結局 原発では人口減少も過疎化も止めることはできていません。

2022年7月16日 千葉県勝浦市の土谷元市長さんのお通夜に行ってきました。

ご病気で入院中の急死でした。長く勝浦市議の務められ、3年前に市長就任。

その年に台風15,19号が房総を襲いましたが、奔走されて、勝浦の被害はほとんどなく、ほかの自治体の応援をされていました。その年にはコロナでダイヤモンドプリンセス号の受けいれ、厄介者扱いせず、温かく受け入れた勝浦市は全国に発信されました。 

しかし、過労と心労のため7体調を崩されていました。

勝浦港の回収も終わり、来年は勝浦でかつおサミットを楽しみにしていらっしゃいました。心より ご冥福をお祈り申し上げます