2024年1月1日 16:10 能登大地震発生 M7.6

帰省中の九州でこの1報を知りました。災害は時と場所を選ばないとはいえ、、、

一刻も早い救出を、

冬最中の北陸 低体温が心配です。被災された方たちはせめて暖がとれる場所で休まれることをお祈りいたします

1月11日 福島代表の高橋さんと能登へ

ボランティアは現地入りを控えるようにとの県の要請はありましたが。

高橋さんが福島市長さんからの親書をもってらしたので、水3トン、下着・靴下・ミカン・保温用のアルミシートを詰めるだけ積んで

阪神や熊本より家屋の倒壊がヒドイ。輪島市内の朝市通り、美しい建物が全てと言っていいほど損壊していました。災害復旧の人出があまりにも少ない。これほどの大災害なのに国力を総動員できないとは、、、大阪万博を延期してこちらにまわしてほしい

2・15~2・17  2度目の能登行き

熊本よりも阪神よりも、1階が潰れるように倒壊した家屋が多い。

能登瓦、通常の瓦より大きく重いです

ボランティアが入れない地域でお年寄りのご夫婦が片付けをされていました。気の毒でなりません。   これまでのどこの被災地より、寒々しい被災地です

飛び上がった側溝、上下左右にずれた橋、車の上にのっかかった家。一方向の揺れでは、こうはならない。複雑な揺れ方をしたのがわかります。

悪路の山道を超えて、やっと眼前に海が広がる輪島市七浦地区の公民館に到達。

 

3・14~3・17  3回目の能登行き。  

今回はミカンと炊き出しの出前でおでんとビーフシチュー。一人運転で店で食事する時間なし。

「おなか減った、、、」助手席でシートベルトをつけた鍋を横目に急ぎます。

道路はまだまだ厳しいです

住民の方たちが 何とか道を啓こうとされたようですが、樹々の先には大量の土砂が

輪島市の鹿磯漁港。漁港一帯の海底が隆起して、海に浮かべない船が横たわっています

輪島市白米町の千枚田。日本海に面した海岸美の美しさ。千枚田にも被害が出ましたが、ここでまた米が収穫できますように

屋根、特に棟の部分の被害が多くの家でみられました

地震発生から3か月になろうとしているのに、被害は手つかずです。輪島市や珠洲市の地区には、人の姿が見られません。インフラが断たれ、集団避難しています。これも他の被災地と違う点です。 これまでの被災地は被害が大きくてもその地域に避難できていました。 被害の多い自宅街並みを何か月も見ていては、心のダメージが

七尾市の能登島のかかる二つの橋。 新しくできたツインブリッジは被害で通行不可でしたが、もう一つの元からの能登島大橋が大丈夫でした。 最近は上に豪華なデザインの橋が多いけれど、当然重さが負荷を大きくかけます。 上がない方が、強く美しく見えます。

鳳至郡町野町に、支援感謝の看板。けれどボランティアの姿はありません。 輪島市、珠洲市に比べTVでは聞かれない地名。こういう小さな町もTVで取り上げてほしい。きれいな夕焼け、陽が伸びてきました、春はもうすぐ

2024年6月輪島市の倒壊ビル。根元の脚には太い鉄骨はありません。ワイヤーみたいなものがあるだけです。倒壊の原因は軟弱地盤のせいだけではないのでは

2024年6月  町野町への道はまだ開かれていません。道は割れ、倒壊した家屋が道をふさいでいる様ですが、そんな土地で草刈りをする男性がいました。 一人で

2024年10月  地震の傷の修復をできていないので大雨が、、、収穫前の稲が、、、

奥能登、外浦の夕日は格別です。空気も水も清浄、この災害さえなかったら、インバウンド観光の人気の場所になったでしょうに

珠洲市の飯田町に吾妻橋というきれいな橋があります。大黒様と恵比須様、町を守ってください

2024年12月今年最後の能登行き  こんな状態で新年を迎える人たちはどんな思いだろう

けれど、やっと 外浦の海岸線に応急道路が一部通れるようになりました!

住民や工事関係者の姿もない町を歩く一人のおじいさん、寂しそう。もう一人は珠洲市長橋町の塩作りのおじいさん、2月にはじめてあった時より、お元気になられました。能登の人は強い

2025年2月能登  やっとやっと外浦の応急とはいえ道がつながりました!

海側から見る崖崩れの規模はスゴイ。

やっと町の町にスムーズにな入れるようになりました。町の町は地震に加え、大雨被害も特に強かったです。そして珠洲市の高屋地区。手製の看板、春よ来い来い早く来い